名前をそこかしこで見るくらいで、お会いする事はなかったけれど、 氏の冥福をお祈りします。
IPv6やインターネットの発展への功績もさることながら、 こういう考えの人が 世を去ったと言うのが何より残念だ。
私は itojun さんほど純粋でもなく、比較するのもおこがましいくらい能力は劣るが、 一つの原動力になっているのは ESR のこの言葉だ。
もう 20 年以上にもわたって、ぼくはむかつかないソフトにあふれた世界に暮らすことを夢見ていた。きれいで、強力で、信頼できて、きちんと書かれたコード、技術屋たちが愛して誇れるコード、ボロボロで穴だらけで悲惨で罵倒するしかないような代物じゃないコードの世界だ。人々に、胃潰瘍じゃなくて選択を与えるようなインフラ、独占によるロックインじゃなくて、自由を与えるインフラ。そこへの道として、オープンソース・モデルはいちばん見込みがありそうだと信じているし、ハッカー文化の力と自由市場が手を組めば、それがうまくいくとぼくは信じている。勝てるよ。世界をほんとうにましな場所にできるんだ。
[たのむよ、仕事わかってくんない?より引用]
この文章の発表されたコンテキストとか、過去現在の ESR の立場とかはどうでもよろしい。 「本当にましな場所」が結局カオスへの道だとしても、選択が例えストレスだとしても、 それも承知の上で、世界を少しでも「ましな」方へ動かしたい。 そう思いつつも、自分の立ち位置が変わったせいで、自分の「世界」は少し平和になり、 すっかり怠惰と諦観の中に埋もれているうちに全体の状況は目紛しく変わる。
もうこの世界に itojun さんは居ない。望みにしがみついている限り、 例えささやかでも、自分に出来る事をやるしかあるまいよ。 何処でもない場所に逃げる事になる前に。