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真面目にビジュアルノベルと言える物を読んだのはこれが初めてかもしれない。
ともあれ、沢渡真琴ルート多分終了。
話自体はそれなり。使い古されたネタなのだろうけど、まあ、そんなに書き方は悪くない……のかなぁ。いまいちよく分からない。
グラフィックは別に良くはないがそんなに凄くは悪くない。でも、あんまり好きな絵じゃないのだけど。ってさっきと同じ事を。
デメリットの方が勝ってしまっているように思う。活字だけ追っているときなら、読者の想像力の限界までは場面の想像が出来る。勿論、挿し絵はある場合もあるけど、それは自分が想像している一連のシーンうちの一瞬を切り出した物でしかない。その前後は想像に任されている。しかし、こうやって常に絵があると、かなり強力に絵に引きずられてしまう。字を追っていてもすぐそこに絵が見えるので、切り替えの時などには嫌でも注意対象になってしまう。いっそ抽象画みたいな物なら別かもしれないのだけど。まあ、これは私が単に慣れていないだけなのかもしれない。
絵はともかく、音楽があるのは素晴らしい。字と違って、注意して聞くわけではないから、字の方に集中しているときは殆ど無視する事もできる。でも、勿論その間もちゃんと耳に入っている訳だし、ふと注意の対象になったときに雰囲気に合った曲が聞こえるというのはとっても素敵だ。
主人公のあまりの魅力のなさ だと思う。何だこいつは? 居ない方が遙かにましじゃないだろうか。主人公抜きで他の登場人物だけで話を組み上げた方がよほど面白くなるだろう。
もしかして、これは プレイヤー=主人公 なのか? じゃあ、「お前がこんなにへたれでも、こういう良いことがあるかもしれないぞ 」という希望を持たせたいのか? 本当にこの救い難い情けなさはかなり致命的だと思うのだけど。
あくまで今のところ。
xkanon は非常に良くできている。
前に rm -rf / をするとどうなるかの検証実験をしているサイトがあったのに……メモし忘れた。しかたないのでちょっと気になっているところだけ検証。
perl -e 'print map { "$_\n" } 1..10' > 1-10
とかで、10行のファイルを作る。その後
perl -npe 'sleep(2);' 1-10 &; \ sleep 5; \ echo file: *; \ rm 1-10; \ echo file: *; \ sleep 100000;
とかしてみる。perl の直後の sleep は open する前にファイルを消さないように。最後の sleep は単にプロンプトが戻ってこないようにしているだけ。zsh であらかじめ setopt nullglob しておく必要がある。ともあれ、
1 2 file: 1-10 file: 3 4 5 6 7 8 9 10
結果はこうなる。unlink されても、そのまま最後までファイルを読み切る。読んでいる間は他のファイルによってその領域を使われることはない。close した時に開放されて、もう二度とアクセスできなくなる。
ここまでは分かる。こうでないと色々困ったことが起こりそうだし。
dd if=/dev/zero of=dummy bs=1024 &; \ sleep 2; \ rm dummy; \ ls dummy
として、watch df で監視してみる。勿論上のコマンドの出力は
`dummy' を削除しています ls: dummy: そのようなファイルやディレクトリはありません
となって、ファイルにアクセスすることは出来ない。しかし、ディスクの使用量はどんどん増えて行く。そして、df を止めた時に解放される。
これがちょっと不思議に思える。リンクカウンタ(なのかなぁ?)が 0 で、書き込みオープンしているプロセスしかなかったら、即座に領域を開放して書き込み内容を /dev/null みたいに捨てれば良いのじゃないだろうか。
この挙動は POSIX か何かで規定されているのかな。それとも、linux kernel 特有の動作だろうか? ファイルディスクリプタが内部的にどうなっているか分かれば理解できるかな? うぅむ。ともあれ勉強が足らない……